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政治・社会・環境などの問題について、素人なりに考えたところをまとめときましょ。
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人間は、「揺れ動く存在」であると思う。

生きすぎと反発によって、社会は進んできたと言っても過言ではない。

神の目から見た純粋に客観的な視点が仮にあるとして、
現在の状態が「0」であり、「50」が合理的で適正な値であるときに、
「50」を目指そうという主張は、聞き入れられにくい。
人々を動かしうるのは、
「100」を目指そうという極端なものである。

そうして、人々が動き、
値が80くらいに達した頃だろうか、
今度は、反発運動が起こる。

人々は行き過ぎに気づき、修正の欲求が生じる。
しかし、
それでも人間は、「50」に戻ろうという主張では、
簡単に腰を上げようとしない。
このときもやはり、
「今までの活動は間違っていた、0に戻ろう」
という主張によって、人々は初めて腰を上げる。

「50」を目指す運動が選択されるときがあるとすれば、
神の目をもつ稀な人間が、
強大な武力、権力を行使して、人々を強制的に動かした場合である。
大衆が内発的に「50」を目指すことが出来た例が、歴史上あるのだろうか。

もっとも、大衆は、いつまでも「0」と「100」の間を往復しているわけではない。
新たな価値の登場や、新たな事実の発見などの外的状況に影響を受けて、
その「揺れ動き」の幅は、振り子の収束のように徐々に小さくなる。
最初は行き過ぎに80で気づいていた人が、次には70で気づくというようにして、
長いスパンにおいて、50を選択して、歴史が形成されてきた。

歴史を見るに、このようにして人間界が進んできたことは明らかである。

この現象の原因は、
人間の本質的な保守性にあると考えられる。
長い間当たり前と感じてきた価値観や、社会のベクトルに対して、
容易にはむかうことが出来ない。
はむかった場合の結果としての世界像が、
明確な像として想像できたときに、
初めてはむかうことができる。
こういう明確な像を示すことができるのは、
いつの場合も、極端な思想なのである。
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